加茂川
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加茂川地図
06-01 粟根土井 深山川 加茂川
06-02 四川 四川 加茂川
06-03 芦原 加茂川
06-04 中組 加茂川
06-05 百谷大岩橋 百谷川 加茂川
06-06 下加茂猪の子 百谷川 加茂川
06-07 下加茂中野 加茂川
06-08 下加茂花木 加茂川
06-09 下加茂中組 加茂川
06-10 岩成川東 加茂川
06-11 萬能倉 吉野川 高屋川
06-01
粟根土井
粟根土井  加茂町粟根は井伏鱒二の生家のすぐ下文 豪が子供の頃この常夜燈の周りで遊んだことが 近刊の全集に載っている
 昔の子供たちは友達の家へ大勢で遊びに行くと うるさがられたので いきおい公共の場所 すなわち辻堂 お地蔵さんや常夜燈が遊び場所になる
 土台石たくさん盃状の窪みがある 信仰と関係がありそうな盃状穴の意味は詮索するに当たらない 子供達が川石でよもぎを搗いて遊んだ跡だ
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06-02
四川
四川  土台石が舟形になっているこの常夜燈は 加茂町四川の旧県道沿いに在ります むかし四川の谷沿いの材木や薪は 筏や舟でこの辺りから積み出されたのです
 川からかなり隔てた道の傍にありますので 道案内の常夜灯とか農業の神と考える人がありますが当時の金毘羅様は水難除けの仏です
 明治43年現地に移設の記録がありますので もとは近くの川筋に立てられていたものです
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06-03
芦原
芦原  加茂神社北三叉路 新旧の道路に挟まれ きっちりとブロック塀で囲まれて かっての常夜燈の周りの風情はどこへ
 建てられたときは川のほとりで 地域でもっとも晴れがましい場所だったのに
 金毘羅常夜燈にかけた先人の祈りの意味を知った隣の粟井さんは 念入りに常夜燈の世話をするようになった
 あまり大きな燈籠ではないが 宝珠 笠 火袋 中台 竿 土台どれをとっても美しい細工が施してある逸品である
 この年文化13年は東海道大水害 それかあらぬか この年に生まれた常夜燈は多い 中条山田谷 徳田青木橋 蔵王鍋蓋 沖湯野 湯野迫山 みな同年生だ 崩れ去ったものも他に多くあっただろうに180年をそれぞれの地で 生きてきた江戸の粋人たちの同窓会でもすればよいのに
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06-04
中組
中組  加茂正宗で有名な高橋酒造は 明治5年に酒造業を始められた
 それまでは農産物を手広く扱っていた 加茂川の舟着き場はこの辺りであった
 道が広くなった分それだけ大きな自動車が出入りする ちょいと引っかけても どこも留めてない常夜燈はすぐひっくりかえる
 こわれた火袋を新調して建て直された造り酒屋さんは 地域の修景にも心を配られる
 一カ月に三十五日酒を飲む私
全国の銘酒を飲み飽かした挙句
戻ってくるのは地元の酒
 産湯のときから飲みなれたふる
さとの水は良き哉
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06-05
百谷大岩橋
百谷大岩橋  国道182号から見下ろせる大岩がある そこを干渡りといって飛び石伝いに川を渡った
 子供のころよく遊んだ大岩には曰くがある と近くの長老早川さん「太閤さんが城を造るとき石垣に大きな石を全国から募った 大男が神石の奥からこの大岩を袂に入れてここまで持って出たのはええが もう蛸石という大石が据わったと聞いた 男は失望 落胆 持ってきた大石をここへ投げて行ってしもうた」
 以来この大岩はここに居座って子供たちの絶好の遊び場となった
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06-06
下加茂猪の子
下加茂猪の子  東城往来と山野往来の合する所
 古くから交通の要衝だったところ ここから百谷の山裾を縫って 細い道が登っている 今でも辿れるが この谷底の99折の小径が東城や神石からの主要道路だった
 ここまで人馬で運ばれて来た物産が ここから水運に託されていた
 弘化2年(1845)その頃創られた文字で風・水・火・石の複
合文字が刻んであり 雄渾な『象山』の文字とともに一見の価値ある常夜燈だ
 なお「あかくに」と読むこの複合文字は他の常夜燈にも見られるものがある
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06-07
上加茂中野
上加茂中野  加茂町下加茂の旧国道182号東域別れ岩川石油前 三方を民家で囲まれて草むらの中にひっそりと佇んでいるので気をつけて見ないと見逃す
 猪の子の常夜燈と造りがよく似ているので 同じときにできたのかと調べたら こちらが古くて 文政3年(1820)で 猪の子のは弘化2年(1845)
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06-08
下加茂花木
下加茂花木  下加茂クラブの横にある
 「象の頭の山とは訳が分からん燈籠だな」と子供のときは思っていたが「金毘羅舟々追っ手に帆上げて…象頭山金毘羅大權現」と無意識に歌っていた意味が 今頃やっと分かった
 慶応4年菊月(旧暦9月)とは まさに明治改元の年であり当月である 維新の混乱は福山藩とても例外ではない いまどきの様に中央の情報が即時に地方へ伝わるようでは 維新のあわてふためきは 金毘羅さんどころではなかったはず
 中野 猪の子の分と造りがどれもよく似ているが これが一番新しい それぞれ25年ほどの開きがあって同じ石工とは考えられない
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06-09
下加茂中組
下加茂中組  自彊高等小学校そばの道端 花崗岩をくりぬいた華奢な火袋は当時の石工の腕の見せ所です 自然石の地肌はいま異常な風化にさらされていますので もう数年たちますと建立の年が判然としなくなる
 ここまで舟が?と思うのは自然で 現状では加茂川が入り込んでいた形跡は名残川のみです 昔の底の浅い舟は海だろうが川だろうが お構いなしに細い溝でも航行していたのです
 周辺の道路 田んぼ 家々のたたずまいに目を奪われてしまうと 当時の景観を想定するのは難しい
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06-10
岩成川東
岩成川東  御幸町下岩成 この辺りは砂原という地名です 今は三百米程東についている加茂川がここを流れていた時の名残りの地名です 加茂川より西にあっても「かわひがし」と云うのは古い地名を表す
 すこし上手にある光円寺の境内には 舟つなぎの松が最近まであったそうです
 勇鷹神は水野勝成を祀る
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06-11
萬能倉
萬能倉  駅家町万能倉の町はずれ もとは約二百米南の三原味噌屋さんの前の土手の上にあったもの
 駅家町在住の宮怜子さんのお姉さんは子供の頃 川沿いにこの常夜燈が灯っているのを 懐かしく憶えておられるそうです
 今の万能倉の町並みは 銀山街道沿いと云う理由もあったでしょうが 加茂川から引かれた水利によって発達したものです
 昭和十年代までは道路の幅は狭くて 川のほうが幅が広かったのですが 車社会のいま 川はついに道路の下にかくれてしまいました
 なにげない道端の常夜燈が語る川の歴史です
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