竹田川
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竹田川地図
08-01 宇山 狭間川 竹田川
08-02 竹田岸 狭間川 竹田川 高屋川
08-03 下竹田 竹田川 高屋川
08-04 八尋梨の木 沼川 高屋川
08-05 淀水昭和橋 高屋川
08-06 湯野迫山 堂々川 高屋川
08-07 沖湯野清瀧神社 堂々川 高屋川
08-08 中條山田谷 山田川 高屋川
08-09 湯野豊久保 深水川 高屋川
08-10 久貝大ずり 高屋川
08-11 秋丸大ずり 瀬戸川 竹田川
08-01
宇山
宇山  建てられた天保時代の 神仏混が見られる
 宇山は福山市春日町であるが この谷の水は狭間川を下って神辺町の高屋川へ流れる
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08-02
竹田岸
竹田岸  竹田から宇山へ抜ける道端 小字は岸 岸だから舟が着いたのだろうは早合点というもの 舟が着くのはなにも波打ち寄せる岸である必要はない
 そのころの舟は底の広い木の舟で 溝川さえあれば 少々浅くても物を運ぶことが出来た
 この狭間川の上流には狭間池 瀬戸池 昭和池 轟池などがあり 小舟のための水量には事欠かなかっただろうと思われる
 そのころの神辺平野は芦田川への水捌けが悪くて 湿原が広がっていたので 水路はかなり奥地まで行っていたようだ
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08-03
下竹田
下竹田  神辺町下竹田の竹田橋近く 竹田橋は高屋川・竹田川・狭間川の合流地点にあります 台石には子供達が河原のよもぎで草団子をつくった凹みがついており むかし川のそばにあった常夜燈が 地形の変更で現在地に移動させられたものと思われます 今の位置にあっては何のための常夜燈か すぐには理解出来ません
 おもしろいのは風・火・水・石の四文字を組み合わせた合成文字があることです 天変地異などの災難除けの祈りをこめたこの文字がある常夜燈は 備後地域内にほかもあります
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08-04
八尋梨の木
八尋梨の木  『獻灯』の上に一字ずつ並んだ文字は 祈願する神様の頭文字 金は弘化の頃は金毘羅を表し水難防除の祈願 沼川は底湿地を流れる浅い川 高屋川に注ぐのだが水が要る田植えの頃には 高屋川の水を逆流して利用する
 この地域は赤土の地表と 岩盤の間に水が入ると 地滑りの原因になる
 八尋にはこの外にも二つほど立派な常夜燈があるが 製作年代などの銘刻があるのはこれだけ
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08-05
淀水昭和橋
淀水昭和橋  高屋川土手の下に道 道沿いに昔のまんまの位置に残る 台の石垣は匠の技 燈籠は颱風のとき電線が懸かったとかで少し傾く 土手から見下ろす道は低い
 「この道そのものが土手じゃったんです 今の高い土手は わしが子供ん時ん出来たもんです 川幅も南へ倍ほどん拡げやんした」と 前の家の宗岡さん 宗岡さんは七十がらみ
「洪水のときは この常夜燈のしもで土手が切れて庄屋の諏澤の前を濁流が淀水平原へ流出」
 これ以上水が暴れないように 金毘羅さんに祈りを籠めて建てられたもの その翌年は明治元年
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08-06
湯野迫山
湯野迫山  湯野迫山の 安原正始さん方裏山の荒神杜の境内に在ります 神杜に金毘羅さんがあるといっても 神仏混交の境内だった訳ではありません 四十年くらい前に ここから二百米ほど南の石州往来が拡幅された時 ちょうど道のド真ん中になるので この境内へ移されたものです
 この常夜燈がもと立っていた処は 石州往来の池のそばです この池は昔 堂々川の伏流水を利用して作ったようです 用がなくなった今 埋められてしまいました
 安原さんと隣の備後国分寺を隔てる川の土手は 数十年前は低くて 安原さん方から国分寺が丸見えだったそうです この堂々川が流し出す土砂は大変なもので 舟行に差し支えるから 徳川末期時代から砂防の石垣を積んでいた遺跡が沢山あります
 安原さん方の水車は現役ですが 明治時代にはこの谷に六軒の水車小屋が粉を碾いていたそうです
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08-07
沖湯野清瀧神社
沖湯野清瀧神社  沖湯野の清滝神社境内の東南隅 この辺りは堂々川が高屋川に合流するところです 今は川から遠く離れていますが その昔はそこは川岸であったらしく 子供達が河原のよもぎを小石で搗いた 盃ほどのくぼみが土台の石に沢山ついています
 石で出来た灯袋には木の枠がはめてあり これに紙を貼って灯明をともします 昔の夜はとても暗かたのです 常夜燈の小さなあかりも立派に灯台の役目を果たしました
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08-08
中條山田谷
中條山田谷  備後神辺の学者 菅茶山が當時この地にあった松風館の河相君推をたびたび訪れて 曲水の宴を張ったもの 文化丙子孟春は文化十三(一八一六)年正月
 背面の和歌は 菅茶山記念館の藤井英樹さんが平成九年に見事な拓本で複写されました
 保之は君推の名 場所は山田川のみおつくし
 菅茶山と河相君推の交友は「茶山詩話第六集」に詳述してあります
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08-09
湯野豊久保
湯野豊久保  豊久保は「豊かな窪」の意で昔から大変栄えた土地柄です 深水川の支流を利用しての舟運があったと考えられます
 安原美容院の裏 険しい山道を上がったところに鎮座しているのが写真の常夜灯です
 高さ二・五米の自然石の堂々たるこの常夜灯は 元々この位置にあったものではありません 土台石には 当時の子供たちが川岸のよもぎを搗いて遊んだ盃状穴が見られます

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08-10
久貝大ずり
久貝大ずり  もとは十米ほど南の大釣井(おおづり)と呼ばれる昔の水汲み場にあったものですが 道路拡張のために川幅も狭められ 常夜燈も移転させられました
 この常夜燈は付近の人が今でも各戸回りもちで毎夕点灯しているのです
 車で通り過ぎる我々には 道端にあるこんなに立派な常夜燈もめったに気が付かないものです それほど常夜燈は付近の景色に同化してしまっているのです
 銘刻は金毘羅大神宮(大權現でなくて)天保十二年となっています 神仏分離の行われた明治以前は仏様(大権現)と神様(大神宮)は同居もしていました
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08-11
秋丸大ずり
秋丸大ずり  安芸の毛利が神辺城攻略の時 向かい城を建てたその安芸丸が秋丸となる 域跡は小城神杜として今に残る
 この常夜燈建立の明治廿五年は 他に高屋家後屋(07-04)がある 大きさといい宝珠の形といい 笠の反り 竿のくびれの曲線といい瓜二つである
 水路際にあったかどうか「金毘羅さん言ようりゃんした 昔を語る人はもう居らんようになって」北川五郎さんの説明は そばのせせらぎを百米ほどのぼった所に「おおずりがありゃんして」で十分
 金毘羅の水神さんを祀る常夜燈である
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