箱田川
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箱田川地図
09-01 中條木之内 今信川 箱田川
09-02 中條伊地 箱田川 高屋川
09-03 中條中須賀 箱田川 高屋川
09-04 中條秀工寺 箱田川 高屋川
09-05 東中條荒神社 箱田川 高屋川
09-06 箱田川西 箱田川 高屋川
09-07 徳田大上 箱田川 高屋川
09-08 徳田青木橋 箱田川 高屋川
09-09 原七ッ石神社 六反田川 高屋川
09-10 川西八幡宮 六反田川 高屋川
09-11 徳田砂原池 六反田川 高屋川
09-12 岡山神社中沖 鳥居右 六間川
09-13 亀山山頂十念 六間川
09-14 亀山山頂(小) 六間川
09-15 岡山神社相峠 鳥居左 六間川
09-16 岡山神社象山 鳥居左 六間川
09-17 川南出口 新川 高屋川
09-18 千田丸池 千田沼 高屋川
09-19 千田坂田 千田沼 高屋川
09-01
中條木ノ内
中條木之内  今信川(こんのぶがわ)は大水が出るたびに川底が一米以上あがる そのために毎年川浚えする 土を掘り上げる重機が川底に埋まってしまうように見える
 今のようにダンプで運び去るこのとなかった昔は土手に積み上げるだけ いきおい土手の高い天井川となる
 源流には中世以前の山城「木ノ上城跡」がある
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09-02
中條伊地
中條伊地  箱田川起点のこの地に どうして金毘羅さんが?舟着き場でもないのに
 実は現代の舟着き場に似た働きをしていた地点です 昔は車がなかった 江戸時代に車が認められたのは お江戸と京大坂だけ 武器兵糧を大量に運べる車を諸藩が持っては幕府もおちおちできない 川には橋がない
 車に代わる重量物運搬方法は 舟筏だけ 川は出来るだけ奥地まで掘り進み運河とする 舟は浅瀬用に底を平たく 重い石などは樽の筏で運ぶ 四斗樽一個は二十貫の石を運ぶ計算がされた
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09-03
中條中須賀
中條中須賀  右へ伊地を經て三谷 左は木之内を經て粟井峠を越え粟根へ 昔の往来の要
 常夜燈は文化文政のころに創建されたものが流失し 銘刻のように天保に再建されたものでしょう
 下流に「鶴の供養塔」なる石碑がある 土中から出て来たそうだが この土地の特徴である真砂土の濁流で流失していたものです
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09-04
中條秀工寺
中條秀工寺  中条農協そば 昭和三十年代まではバスが通っていた「こんな狭い道をバスが?」と疑問に思うほど狭い道ですが 当時は中條の主要道路でした
 今は川の位置が変わっているが ここは箱田川の本流だったところ
 その後箱田川は更に低いところへ付け替えられ それがいまは天井川になってしまっているのです
 常夜燈の川筋は 今ではこの谷中で一番低い
 「昔は常夜燈の周りは広かったんですで 道路を拡げるけえ云うて常夜燈の土地が取られてしもうた」隣の小林さんは秀工寺の地名の古さを説明して下さる
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09-05
東中條荒神社
東中條荒神社  今の箱田川は天井川であるが 昔はこの低い地帯を流れていた 常夜燈は境内に移転された形跡
 明治の初め 神辺平野は水捌けが悪くて 中心部は葦の生えた沼だった 物流のための水路には事欠かない
 郷社中條八幡宮前までは 水路で舟が行き来していて 宮前は舟溜まりであったことが想定される
 広島市郷土資料館の高瀬舟の資料が参考になります
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09-06
箱田川西
箱田川西  箱田の福祉会館の前
中条を発する箱田川は 山の真砂土がたくさん流れてくるので川底がすぐ高くなる
 昔はたびたび川が付替えられたが 付替えしなくなってからこの川も大変高い天井川になつてしまった
 川底は付近の田んぼからは五米以上 土手は八米くらいある 昔の田んぼの中を川が流れていた頃
 この常夜燈はどこに立っていたのだろうか
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09-07
徳田大上
徳田大上  神辺町徳田大上の道端に立っている常夜灯 付近に川の形跡はありません これが舟の為だとは思えないのです
 けれど約三百米ほど離れた処を流れている箱田川は 上流のはだか山に近い中条の花崗岩質の土砂を大量に運び出します 今は天井川ですが 昔は度々この川はつけ変えられました 箱田川の西に位置するのに この辺りは今でも「川東」と呼ばれています 川辺にあった証拠を残す盃状穴が見られます
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09-08
徳田青木橋
徳田青木橋  神辺町中條を発する箱田川は 高屋川に注ぐ出口付近で水路の位置を変えました 今から五十年ほど前東側に五百米ほど移動しました 天井川だったので廃川地はなるして立派な住宅地域となりました
 常夜燈もそのとき移動さされ 原田孝さんのお家のそばに移ったようです ちなみに原田さんの屋号は「常夜燈」です
 その後貯水地ができて 邪魔になるのでまた移動され 今は旭高校の下の思いがけない所に立っております
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09-09
原七つ石神社
原七つ石神社  正戸山の砦が毛利に減ぼされた時 帰農した谷本一族は川西の原というところに住み着いた 当時の犠牲者の霊をなぐさめる七つ石神社は今も谷本一門によって祭られている
 原は小さな集落ながら十数箇所の墓地がある興味深い土地柄だ
 味噌で有名な谷本調味料さんのお家に 金毘羅さんの幟があるので訊ねたら「各戸回り持ちで 一日から十日居てもらう」と当主の谷本裕さん 当番で金毘羅さんをお守りしている
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09-10
川西八幡宮
川西八幡宮  刻銘はずいぶん略した書き方であるが 金毘羅さんであることは判る 元神辺町長の高橋含之さんは これが昔は六反田川の川べりにあったことを 話して下さる
 常夜燈は川西八幡宮の神域にあるので 昔からここに居座っておられるのかと思っていた
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09-11
徳田砂原池
徳田砂原池  徳田砂原池土手にある ここは天明一揆で農民を率いて無血勝利を獲得した 有名な庄屋徳永徳右衛門家跡のあたりです
 いま大阪茨木市に住んでおられる直系のご子孫 徳永研一さんのおばあちゃんの話では 明治十年頃神邊からお嫁に来られたお母さんの およめりの荷物を積んだ先頭の舟が到着したとき 最後尾の舟は未だ神邊を出たばかりと云うほどの長い列だったのとことです
 六反田川が高屋川へ注ぐこの辺りはそのころ満々たる水を湛えた沼澤に囲まれていました
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09-12
岡山神社中沖
岡山神社中沖  神邊町道上 岡山神社表参道の南端に在ります もとは道上驛の五十米ほど南の桐島自轉車店北角にあったものです 大正末期から昭和初期にかけて 道上の村中の常夜燈はすべてこの岡山神社の境内に移されました
 神社の境内は納税を免れた官地ですから 道路拡張などで邪魔になった常夜燈が移されることが多いのです 公共事業など以外ではみだりに移轉するものではありません
 台石が舟の形をしています 航海の神様である金毘羅さんに因んで このように舟を形どった台石が使われている例は ほかでもよく見かけられます
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09-13
亀山山頂十念
亀山山頂十念  この常夜燈が立っている小高い丘は亀山と呼ばれ縄文時代の集落があったところです
 亀山公園の中にあるこの常夜燈は 大きな自然石と場所柄を得ていることによって いかにも古そうな感じです が事実は 昔からここにあったのではなくて 昭和初期に道上村の常夜燈がすべてこの亀山に移されたので ここに在るのです
 この常夜燈は十念地区から移されました 崩壊の兆しがあり 危険であったので 平成二年三月専門家にたのんで修理してもらいました
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09-14
亀山山頂
亀山山頂  「道上村案内」という一枚ものの観光案内に 常夜燈の来所が記されていたと思いますが 紛失して分かりません 亀山の頂上近くを 都合によっては移動させられています
 亀山は縄文時代からの貴重な出土品や遺構が残る史蹟です 神辺平野に稲作がもたらされた頃 人々が定住を始めた遺蹟です
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09-15
岡山神社相峠
岡山神社相峠  鳥居の左すぐ 境内にある「農道改築記念碑」に「創業大正拾四年 竣成昭和拾年 總工費貮萬貮千四百圓 道上村 深品両大池新池整理組合」とあります
 大正末期から昭和十年にかけて 道上村中の常夜燈が岡山神社の境内に移されたのと期を一にしています
 相峠と書いて「あいだわ」と読んでいますが もともと乢の字を充てていたのでしょうが 乢も峠も嵶も載せてない辞書が多い
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09-16
岡山神社象山
岡山神社象山  鳥居の左二番目にある常夜燈は 出所が分かりません
 「大同元年(八〇六年)備中國一宮吉備津宮の御分霊を備後國宮内へ御勧請の節此地に一宿あり 其跡に宮を建て一宮大明神と崇め奉る 寶暦九年(一七五九年)岡山大明神 明治六年岡山神社と號する」と神社縁起に記されています
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09-17
川南出口
川南出口  神邊町川南の 国道313号と旧山陽道とが岐れる角に立っています 以前は五百米ほど北にありました 福塩線神邊駅と国道との三叉路の五十米ぐらい南側 今は無い水路際にあったのです 国道が拡張されたとき 移轉されました この辺りが神辺町の河岸(かし・舟の着くところ)であったと思われます
 ちょんまげの時代はこの辺りに橋があり 神辺の出入り口になっていました 重政俊之さんの屋号の『出口』はここの地名から
 横尾の朝市へ運ぶ荷物もここで積まれ また福山や横尾から仕入れた荷物も舟で運ばれ ここで荷揚げされたことでしょう
 『写真で見る神辺の歴史の』では手前広々とした田圃の向こうに 川南小学校と常夜燈が裸んばちで立っています 大正の終わりごろ迄 そこは神邊の町外れだったのです
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09-18
千田丸池
千田丸池  千田町の水田地帯は 昭和の初めまで千田沼と呼ばれていました 芦田川への排水が十分でないときは 雨季など長期にわたって水が引かず いまの国道182号が水没することさえありました そのむかし排水機構のなかった時代 一帯は沼であったことは想像に難くありません
 千田沼を見はるかす丸池土手に立つと 160年前の水路交通の千田沼がしのばれます
 福山から神辺へ抜ける昔の街道を東大垰(おおたお)と呼んでいました 常夜灯は垰を下りたところ 山陽自動車道わきにある丸池に立っています
 むかし澄み切った水を湛えていたと言われる丸池そばの 磯田恵一さん宅は その街道沿いの寺子屋跡だったとのことです
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09-19
千田坂田
千田坂田  昔の坂田村は薮路(やぶろ)のすぐ裏手にありながら 薮路が福山府中往還で賑わっているのに比べて静かな奥座敷というような集落でした
 福山へ抜けるのは 自転車も通らない山越えの小道でした いま主要な裏街道になつて 坂田池の土手に金毘羅常夜燈が立っているのが初めて分かりました
 昭和7年とありますが それまでは千田沼の澪の一角に古くからのが立っていたに違いありません
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