◆沼隈・枝広邸前常夜燈と道祖神(地神) 増田 洋子 <005>
 先日、沼隈の「枝広邸(現福山ぬまくま文化館)」に行ったところ、ちょうど目の前に常夜燈が一基、道祖神と共に山南川の辺にたたずんでいた。沼隈に常夜燈・道祖神が多数点在していることは知ってはいたが、その場所・謂れまでは知らなかった。そこで、巡り合わせたのも何かの縁と、少し調べてみることにした。
 早速郷土史にお詳しい方(上田 靖士さん)をご紹介いただいたので、お教えいただいたことを中心に、調べたことなど纏めて、お伝えしたいと思います。

 
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 沼隈町内の路傍・集落にある石造物には「常夜燈」「地神」「斎神」「石仏」「「道標(みちしるべ)」「休石」などと碑(記念碑・顕彰碑・文学碑・村界碑etc.)があります。
 このうち信仰の対象になった地神・石仏が殆どですが、それ以外のものもあるそうです。

 「本来の常夜燈は基本的に「金毘羅大権現」「金刀比羅宮」など「金」のつくものは四国の金毘羅信仰に繋がるもので海の守り神。また水路の道標(
みちしるべ)として灯台の役割を果たしたものです。しかし沼隈に於いては、地元の神社への信仰に繋がるもので、「海」に限らず「農業の神」でもあります。つまり、「水」に関係した信仰の対象の守り神とされていました。従って水辺に建てられています。

 最も古い常夜燈は文政2(1819)年に上山南・岡田・黒瀬に立てられたもので、新しいところでは昭和3(1928)年、上山南・水落・土橋に建てられたものがあり、大型の傾向があります。これらの大多数は江戸後期・幕末までの約50年間に集中して建てられており、他の地域でも神社に大型の燈籠が奉納された時期があり、その時期とも一致しているのだそうです。
 基壇には「當谷中」「村中」「産子中」「惣邑中」「氏子」などと寄付者の銘が刻まれ幅広い信仰を集めていたことが判るそうです。
 「この常夜燈(枝広邸前)は山南川の河口で潮の満ち引きもありましたので、灯台の役目も果たしていたのかもしれません。」
 また地神は「土」或いは「農業」の神としての信仰の対象になっていました。 
 
          (上田 靖士さんのお話しより)
枝広邸前の山南川辺にたたずむ常夜燈と地神
 沼隈の歴史に興味を持ったのが、「路傍の詩」(清水 凡平著)の第266章「移民」を目にしてからだ。当時は沼隈に限らず日本全国で「夢と野望」のみならず、日本で生活のメドが立たず仕方なく移民を選択せざるを得ない人が多かった。たまたまそういう人たちにスポットライトを当てた番組を見たことがあったので、興味を持って読み進めることができた。その時に沼隈の地にスポットをあてたページを作成したのが、より沼隈を意識させる二度目の出会い。
 その時に数多くの地神と常夜燈が沼隈に存在していることを知った。
福山市内でも時折常夜燈を目にすることがあっても何故、其処にあるのか、どのような謂れがあるのかなど殆ど気づかない…というよりも考えることなく今に至っているが、たまたま仕事で「お山のこんぴらさん」(高橋 孝一著に出会っていろいろと識ることとなる。
 沼隈に限らず日本という土壌を考える上で、『信仰』は切っても切り離せない状況にあると感じている。物の考え方はじめ、日常の生活の中にこれほど『信仰』という宗教的なものが根づいている背景に改めて気づかされた思いがした。これらを作り出した人々にはそれなりの根拠と意味合いがあったのだろうということは想像に難くない。良くも悪くも日本民俗の縮図であり歴史なのだろうと感じている。 こういった遺構を眺めながら、当時に思いを馳せるのも沼隈という土地柄もあるのだろうが、福山市内とは違って、趣が感じられていいものだと思った。なおこうした信仰は「まつり」などに形を変えて、現在も引き継がれているという。

常夜燈
常夜燈に関する記録
場所 常石 土生東(枝広邸前)
紀元銘 文政10(1827)年8月吉日
石材 花崗岩の自然石
銘 文 奉燈
八幡宮
金毘羅社
惣邑中
地神に関する記録
場所 常石 土生東(枝広邸前)
紀元銘 明治24(1891)年
石材 花崗岩
寄付者 沼隈郡横島邑 村上弥之助
(沼隈町誌・民俗編より)

地神
H17・3・01