木割谷―小吹線物語
平成13年7月
小吹―木割谷線と言う道路は、一般県道で国道182号線の油木町小吹から東方へ伸びて岡山県境を通る路線に接続するまでの約10キロほどの道路です。通行は自動車も自転車もない時代からの小吹、郷、恩土、西道、角平、忠原、と言う6つの集落をつないで通る重要な古い生活道であります。
確かに未整備の路線はここだけではありません。何十年も放置された影響については様々な症状を発現しています。私は他の路線の事情を知りません、しかし、木割谷小吹線については今も住んでいるふるさとであり、こだわって実状をお知らせいたす次第です。
そしてこの非常識な県道整備のやり方が、長い間、まるで当然のように行われてきた広島県土木事務所という役所の体質、そしてこれに付随する地方公共団体の自己の過疎地域に対する実態の調査不足にはじまる認識の甘さと、その対策の40年間にもわたる不思議な怠慢についてみなさんと考えてみたいと思うのです。

油木町 近田 東側 入り口付近

(写真をクリックすると拡大表示します)
丁度、北に仙養ケ原という高原を背負い、曲がりくねったとは言いながら地形上一本しかないかけがえのない路線で、その沿線の集落はみな南をうけて山懐に抱かれた「よい山里」として昔から発展をした豊かな土地柄でしたし、何百年、いや何千年の先祖が築き上げた伝統の産業は和牛の飼育と蒟蒻の生産で、神石地方の名産地としての中心的地域でございました。
昔を言えば、子供の数だけでもその集落の活気がわかりますが、どの家も子沢山で一家に5〜6人平均の子供たちがいたのではないかと思われます。小学校は東と西に2校あり、昭和15年頃の2校連合運動会歌のなかには「いざ、600の健男児――日ごろ鍛えしこの身体」と言う歌詞もあり当時の繁栄が想像できます。

油木町 近田 土地畑付近の道路整備が完了した部分、しかし、この先300mで終わり。

(写真をクリックすると拡大表示します)
ところが、そうした平穏そのもののような山里に対して、僅か30年ほどの間に驚くべき変化と没落が起こってしまったのです。勿論、社会経済の変化につれ伝統の農業そのものが成り立たなくなったことがその原因ですが、道路が整備されていないことがこのことに加速度をつけました。
人口は三分の一以下となり、出会う人々は老人ばかり、荒れ放題の段々畑、何をして暮らしを立てているのだろうと思うばかりの風景となりました。
道路の未整備は直接産業の発展に影響することは言うまでもありませんが、通常の生活にも大きく影響があり、その結果、過疎、高齢化の程度にははっきりした差が現れます。若者が居つかないため、学童数も極端に減少し東10、西30、計40名と往事の1/15で、東校は学童の増える見込みがなく廃校寸前と言う状態でこれも厳然たる道路未改良の影響のひとつでありましょう。

忠原 山内付近
せまいカーブの連続でバス、トラックの難所

(写真をクリックすると拡大表示します)
今の時代、やはり道路が一番重要です。生活環境について、集落の評価や格差がきまるわけですが、最初はこんなに何十年も道路が整備されないとは夢にも思いませんでした。
入り口から奥まで僅か10キロ足らずの距離ですので、他町村の状況など横目に見ながら、数年後には開通するものと期待をかけて待ったわけですが、ここだけはまるで忘れられたように、無為に40年が過ぎ去りました。
そしてその道路の整備がなされない理由が、こんなにはっきりとしていることも珍しく、そのため、私にはこれを黙って見ているだけで、いつしかうやむやにするなどと言うことはできないのです。

近田 角平 高橋前付近
バスが通れば幅いっぱいで自転車さえ通行できません。自家用乗用車でも出会えばどちらかがバックしなければなりません。

(写真をクリックすると拡大表示します)
それは、なんと6つの集落をつなぐ生活道路である主要道路が、21世紀の今日、いまだに大型トラックの通行が困難なままで、実際には通行不可能に近い状態なのです。しかも、いつまでも道路が改修されないわけは、驚いたことにすべて人為的な理由なのです。
何故なのでしょうか、こんなことが今の時代に許されてよいものでしょうか。実は、堪り兼ねた地元受益者たちが、平成11年秋、「県道木割谷−小吹線整備促進総決起大会」を招集しました。珍しくも、あんなに大勢集まったのはお互いに驚くほどでした。
しばらくぶりに出会った出席者の顔ぶれを見ただけでも関心の強さがわかり、その時これだけのみんなの熱望は、やがて聞き届けられるだろうと思いました。
県会議員の藤井正巳さん、油木町長の延岡雅良さん、広島県上下土木事務所長さんらのご列席をいただきました。
なんとその時の上下土木事務所長さんの回答は「今後は3年間で600メートル工事する予定だからあまり喧しく言わないで貰いたい」とのことでした。
そして、これに県会議員さんの口から「所長さんは腹をかけてそれだけの数字をよく言ってくれた」と思わぬ発言がありました。それはもうこれ以上は要求するな、ということであり、まことに不可解なものがこみあげてまいりました。われわれの味方として頼みとする県会議員さんが「上下土木」と馴れ合いになり、われわれの方を抑えつけたのです。

角平付近の廃屋
(写真をクリックすると拡大表示します)
いろいろと県の方でも予算的な事情もありましょうが、われわれには道路だけでも急がなければ、ふるさとが消滅するかもしれないと言う歴史が始まって以来の重大事に直面しているのです。
3年で600メートルと言うことは1年に200メートルであり、今までとあまり変わりません。開通までに15年も20年もかかる計算になりますが、それではたまらないので「総決起大会」の運びとなったわけで、えらいさんがたは、その実状に理解がなく、地元受益者とは全然認識が違うことがここではっきりといたしました。
「今日はただただお願いをする集会であるから、平身低頭を守ってくれ」と言う開会前の大会発起人の注意をつい忘れて、私は集落の実状とあまりにもかけ離れた認識の違いを指摘した発言をいたしました。それに対して回答はなく個人的なただの攻撃的な意見とされたのか一方的に無視されたわけであります。
それに不思議なことに、その大会のあと工事は中断されたままとなり、現在工事中の箇所は一箇所もありません。これはどういう意味なのでしょう。
担当役所所長さんの3年で600メートルの話は大衆の前での公言です。所長さんがうそをついてはいけません。しかも県会議員さんもこの数字には特別の発言をされました。
県会議員さんにもご記憶があるとすれば、それなりの上下土木事務所に対して公言の実行を督促なされているはずであります。あの日から1年半が経ちました。約束の3年はすぐに来ることでしょう。われわれが百歩譲って3年で600mの予定に甘んじたとしても、未だ何もないのはなんとしたことでしょう。何ケ所もの工事現場がはじまる期待はすっかり裏切られてしまいました。
それで半年目の平成12年4月22日、私的に県会議員さんと町長さんに同文の督促の手紙を出しました。ほとんど哀訴のような手紙でしたが、どちらからもなんの返事もありません。

忘れられたか、と同じ手紙を平成13年3月27日にまた出しました。それから2ケ月近く経っても何の連絡もありません。要するに無視されているわけです。
このような時、あなたならどうされますか?

参考までに提出した文書(原文のまま)を次に載せましょう。
平成12年4月22日

広島県議会議員
  藤 井 正 巳 様

神石郡油木町近田835
宮池誠文

「木割谷―小吹線の早期改修についてお願い」

拝啓、神石の山奥にも春爛漫の季節がやって参りました。平素は種々お世話に相成り、有難く厚く御礼申し上げます。
さて、県道木割谷―小吹線の件ですが、先般、地元に於ける早期改良促進総決起大会のときの住民等の要望は、ご記憶に新しいことと存じますが、その折、3年間で600mの工事予定があることを県土木からご回答頂きました。
しかし、そのペースでは、平成十五年春で、ようやく西道までと言うことであり、いかにも不服であります。そのための総決起大会であることを申し上げ、是非、工事量を増やして早期開通を実現していただくようお願いをいたしました。
つまり、ご回答のペースでは開通までに今後さらに二十年を要することとなり、未改良道路の奥では影響がますます甚大となるからであります。

しかし、未だお聞き届けなく、計画などのご表明もありません。ただいま路線内では相変わらず工事箇所は一箇所だけで、業者も一社だけが4トンダンプで土を運んでいるような状況であり、促進総決起大会は全く無視されたかの如き状態であります。ただ黙って待つだけでは次第に立ち消えになるのではないか、との囁きもあり、たまりかねて私的にお手紙を差し上げる次第であります。

町内ご巡回のとき、2車線道路が開通している集落と道路未改良の集落とでは、見るからに活気の違うのをご覧になることと存じます。
私どもも道路が集落に与える影響の不思議さに驚いて居るところでありますが、むしろ活気どころではなく、大道路がなければ集落そのものが消えて行くのです。
ただ今、木割谷−小吹線沿い西道、忠原の実状は過疎化、老齢化のため見る影もなく、とくに今後の5年、10年が集落存続の鍵となる重要な時期であるように考えられてなりません。

思えば、この一般県道の改良工事は小吹より始まり、すでに三十数年を費やして、未だ、3キロほどの出来高であります。国道との接続も放置されて居り、他所からの訪問者は、必ずと言うほど迷います。
前任者、前前任者の時代のこととは言え、この現実をどう思われますか。
敢えて申し上げますが、これは知るものをして憤りを禁じ得ない非常識な、そして不可解な為政者や担当役所の怠慢以外の何物でもありません。

昨今の社会は不況とは言え、すべてに亘って至れりつくせりののサービスとなり、国民のわがままや贅沢は驚くばかりの現状となりました。
この山村にもスポーツだの、やれ芸術だのと言う時代となり、これでよいのかと思うばかりであります。
それに引き替え、当該地域のさびれた産業、見るからに元気さのない住民、住む人をなくした廃屋などを見るたび、ひとり切歯する思いであります。
これはすべて大道路なきが故であることが、最近になって私どもにも判って参りました。政治の見落としは、時として罪悪となります。
他路線との比較を思っても、何をもって優先の順位をきめるのか、一般県道とは重要でない路線を意味する言葉なのか、予算配分の実状に配慮のない県当局の不可解なる仕打ちも、ここまできては結果的にいじめであり、犯罪に近いものであることを痛感いたします。
未改良道路の奥に住むものは、一日一日と老齢化し、事情が変わって行くのです。
見捨てられ忘れられた思いは強く、希望を失って行くものが次第に増えて居り深刻の度合いを深めて居るのであります。しかし、今すぐなら集落消滅には至らず、もし早期に、2車線道路が開通するとすれば問題は一気に反転して具体的な希望と相成り解決に向かうことと存じます。
現在のように1ケ所だけでなく、工事工区を増やし、そして今の単県事業は拡大継続していただくことは勿論ですが、この際、町長をはじめ藤井県議、亀井先生のお力によって、国費による工事を増大する手当てをご推進くださるわけには行かぬものでしょうか。

何卒、実状をお調べ下さって問題の重大性及び緊急性をお認め下さるよう重ねてお願いを申し上げます。
敬具

私は個人的に就職の斡旋や入札指名のお願いをしているのではありません。見る影もなくさびれてしまった、消滅しそうな「故郷」を通るたび、また孤独な老人に出会うたびに、このような人権の不平等或いは人道的な不合理に対して納得がゆかないのです。
この土地に生まれ、この地を故郷として生きて来たものにとって義憤の熱い血がどうしても許さないのは私ばかりでしょうか。
しかし、よく考えればこの無視に対しては打つ手がなく、この手は偉い人たちがよく使われる手段なのでしょうか?
偉い人とはいえ県会議員さんと町長さんです、大会を含め都合三度のお願いに対して一言の返事もないのはどういうわけでしょう。立場を代えて想像してみていただきたい。馬鹿にした話です。しかし、よく考えればいかに切歯扼腕しても個人としては何も次に打つ手がないのです。実際この無視にはかなわない。
この無視に、もしアクションを起こすとすれば「いじめ」に対する反逆や、報復的な行為となりがちであり、真意を理解されることはないでしょう。 そして「なんのために?」と自問がはじまるのです。憤懣を抑えて恐らく私もここで結局は泣き寝入りということになりましょう。
しかし、それでは永久にこの話題は消滅することになります。
せめて
「木割谷―小吹線物語」として、あえてこの事実をホームページで発表し、あまねくみなさんのご意見をお聞きしたい次第なのです。

油木町 近田 恩木迫にて
平成13年4月 大型トラックが転落しました。

(写真をクリックすると拡大表示します)
一個人の私がなぜにこうまで憤慨し、抗弁を続けるのでしょう。それはただひとつ愛して止まないふるさとが放置と言う「いじめ」をうけているとしか思えないからです。
その一本しかない県道
「木割谷―小吹線」がなぜか重要路線と認定されることなく、殆ど故意に改修せず放置されたからですが、それは「用地交渉の難しい路線は後回しにしろ」と言う担当役所の伝統的手法のためであったのです。なるほどありそうなことではありますが、それが実際に実行されるところに問題が始まるのです。
実際、確かに難しい用地所有者が居り、大変な交渉の努力の話を聞いたことがあります。
それは何十年も前にもあり、つい最近も常識はずれのゆきずまった交渉の話もききました。しかしほかの県道の用地交渉はすべてスムースなのでしょうか?
担当役所というのは広島県の上下土木事務所のことであります。役所のいままでのやり方のなかで、その土地に対する発展のためとか、緊急に必要な事情などが考慮に入れられることはないのです。結局、
「やり易いところからやる」と言うことが先立って、難しいところは「みせしめに後回しにする」という広島県上下土木事務所の方針は用地交渉に圧力をかける常識的なやり口であり、なんとこれは昔から関係者一般は周知のことなのです。

油木町 近田 恩木迫付近
普通車同志でも離合できません。

(写真をクリックすると拡大表示します)
「みせしめに後回しにされる」という手法は大いに効果をあげてきましたが、時には偏屈な人間に行き当たります。その場合はこの手法が効かないのです。
またこれに油木町役場職員、および為政者の非積極性が加算され結局は、長期間放置することとなってしまったわけなのです。
ほかに理由はありません、ただこれだけの理由で現在も放置されたままなのです。その現状は、昭和36年頃から小吹方面から改修工事がはじまって以来、現在まで、40年以上の歳月が経って居りますが、まだ3キロメートル(30%)ほどの出来高であり、しかも小吹の国道182号線との接続部分が改修不完全で入り口がはっきりしないため、はじめての来訪者(とくに大型トラック)は必ずと言うほど迷います。この重要な部分についても放置はすでに40年を経過し国道接続の改修工事をやる気がなくなったのか、僅かの標識などでは申し訳にもならず、どう考えても担当役所の態度を解釈しかねるところであります。いやしくも県道といわれている路線です。このようなスローペースとマンネリ怠慢の一般県道改修工事は、恐らく全国をさがしてもありますまい。
このままでは、この意識的な放置に対してはともかくも頭を下げて陳情をするとか、ただただお願いをすると言う段階を越えてしまいました。もともと発言力の弱い住民たちであり、地域のためにひと肌脱ぐ、と言う元気な住民も居なかったことも原因として上げられましょう。ただ待つ、ということが長過ぎました。あのころ30歳であった青年がいまは70歳になりました。もうこの上に誰がお願いなど出来ると言うのでしょうか。受益者も待つことにあきれ果て、いまは屈辱そのものと受け取っています。結果、放置した関係者に 言い知れぬ「恨み」を残して終わることとなるでしょう。

これは油木町役場および為政者の怠慢か、広島県上下土木事務所の怠慢か、またひねくれられるだけひねくれたたった一人の用地所有者のせいなのか、なすりあいにはきりがなく、現在も少しの進展もありません。しかもこの影響が日に日に、その先の道路未改修のままの集落の生活の上に次第にはっきりと現れてきました

忠原付近
(写真をクリックすると拡大表示します)
今ひとつ私どもにわからないのは、路線は長く、途中からでも、また反対側からでも着工はできるはずです。なぜ一方からの工事にこだわるのでしょう。
確かに、社会の経済情勢は変わり、あれほどに名産を誇り、勤勉そのものと言える昔のような農業経営は成り立たない世の中となりました。大道路のないことは、瞬く間にこの事情に拍車をかけ、産業的にはほとんど壊滅状態の地域に陥入れてしまいました。
しかし、言いたいのはその次にくる当然ともいえる成り行きのことで、今ではそれどころの話ではなくなってきたのです。
不便なこの集落では特別な人を除いて、殆どの人々が年金と介護に依存した死を待つ生活に移行しているのです。希望というものがありません。
3キロばかりの距離ではありますが、何とか二車線に改修された区域と、丁度道路未改修の7キロほどの集落の状況の対比が発展と没落がいかにも顕著に対照的な発現をしてしまい、道路の集落に与える影響を今更に「論より証拠」の実際を披瀝することとなりました。若者が居り、子供の声がする集落には明るさがあります。このことは道路との結びつきゆえであり、偶然とは思えません。このような極端な対比は不思議とも思えるほどの現象であり、実は没落しつつある集落の方は当然ながら集落自体が消滅の憂いさえあるのです。すでに一割以上の住居は消えましたが、問題はそのあとに残っている家々の実態です。
重ねて申すようですが、殆どの家が老人ばかりです。一軒一軒の事情を調べればわかりますが、昔話の姥捨て山が、現実にそこにあるのです。

角平付近
(写真をクリックすると拡大表示します)
どういう形でいつ訪れるかわからないけれど、自分の死も近いうちに必ず訪れます。それをじっとして待つ一人暮らしの老人の心境をあなたは想像して見たことがありますか。
老人の夫婦二人暮しは一見問題はないように見えますが、どちらか一人の言動がおかしくなったら二人とも釘づけの状態となります。この世の現実とも思えぬような集落の終焉の様々のできごとを今こそ記録して置くべきでしょう。
しかしやがて、それもこれも時限的にすべては終わることでしょう。そして10年も20年もかかるようでは、道路の改修の目的も意味もなくなることでしょう。
如何なる結果となろうとも、誰も責任をとるものは居ませんし、なすりあいはいつまでも続き、責任を感じるものすらもいないことはわかっています。

しかし、私は生ある限り忘れません。この40年にもわたる放置行為は、まざまざと犯罪を目撃する思いであります。これは政治の見落としか、故意の打ち切りであり、その上に意識的な放置は担当役所の怠慢そのものであり「いじめ」と言われる卑劣きわまる行為であることを思わざるを得ません。
同じ広島県内でありながら、高速道路のような立派な道路が各所について一般的な交通に関しては田舎と言えどもいたれりつくせりの世の中となりました。
その見事な道路を見るたびに大変に羨ましく思うと同時に、腹の底が煮えくりかえるような非常な不可解なものを感じるのです。
何処か、人口700人の島に百四十億の橋をかけた話をNHKのテレビがやっていました。
なぜなぜ一般県道「木割谷―小吹線」のみが何十年も放置され、僅かの改修工事ができないのでしょう。こちらは出来ないからニュースになるのです。
マスコミはなぜまだこの事実を知らないのでしょうか、いや話題にするほどの価値を認めないのかも知れません。マスコミは面白い話題だけを探し回り、読者におもねる商売です。
なるほど、私どもには義憤やるかたない事情であったとしても一般には面白い話題ではないかも知れません。
しかし、ともかくもこのホームページを見てご不審の点があるときは、いつでも私がお答えいたします。そして現代の姥捨て山の現実を「百聞は一見にしかず」と言います。現地に来てぜひ一度みていただきたい。
なお、心当たりのある親不孝ものはなおさらのことであります。

忠原付近
(写真をクリックすると拡大表示します)
(写真をクリックすると拡大表示します)
隣村 豊松村を通る「ふれあいロード」木割谷小吹線のすぐ近く、これは農道である。
仙養ケ原から豊松村へ通じる「ふれあいロード」 ここは国道182号線より 豊松村方面への入り口であるが、木割谷小吹線入り口と間違われて、とんでもないところから迷子電話がかかることが多い。
国道182号線 油木町小吹  一方の入り口 国道182号線 油木町小吹(木割谷小吹線入り口付近)
ページトップへ
【文責】 宮池 誠文
住所 〒720-1622 神石郡油木町大字近田835
tel 08478-2-2121
e-mail yosifumi@zoysian.co.jp
Copyright(c) 2000-2003 bingo e shotengai. All Rights Reserved.