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高原のルモンド総集編 |
(保存版) |
筆者は神石高原の名称のもととなった仙養ヶ原高原を近代的に開発、そこを住まいと
なし、その痛快な一文は備後一円に轟く。仙養坊の如く、正論派新聞「ルモンド」の如く・・・・ |
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<第1回> 2001.07
丁度、北に仙養ヶ原を背負い,曲がりくねったとは言いながら地形上一本しかない、かけがえのない路線です。その沿線の集落は皆南をうけて,山懐に抱かれた「よい山里」として昔から発展した豊たかな土地柄です。 |
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油木 近田 彼我は側入り口付近 |
角兵付近の廃屋 |
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<第2回> 2001.08
現代の小1年生に「気をつけ」や「正座」の出来ないのがほとんどではないでしょうか。
基本たる礼儀作法が何処かへ消えている。 |
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<第3回> 2001.09
ここは今回、清水凡平さんの「びんご旅情」に登場する神石郡油木町近田であります。そして私はそこの櫻ヶ峠という所に住み,芝生の研究に没頭している,既に古希に近い老爺であります。 |
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<第5回> 2002.02
避けられぬ現実なれば、これよりは敗将の作法いさぎよくせん。明日10時入院せよとの連絡はあわれ昔の赤紙に似てそれぞれに戦いし二十世紀結末を人というもの哀れと思う |
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<第6回> 2002.3
油木高校はここ数年,生徒募集が定員割れの状況これを挽回するには,逆に油木町の素晴らしい、環境を利用した名門校にするしかありません。 |
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<第7回> 2002.4
親が悪い,教師が悪い,国民が悪い、既に軟弱化した高校生は、その親を写した鏡ではないでしょうか。 |
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<第8回> 2002.6
善行な老女の動作に感動して,朝食をとるのも忘れガラス越しに拝見。 |
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<第9回> 2002.7
昔の父親は平均して恐ろしい存在でした。例えば「男の子は泣くんじゃない」
「女々しい振る舞いをするんじゃない!!」
「女は女らしく」・・・・・ |
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<第10回> 2002.8
人の親孝行は見ても心の洗われる思いがするもので親に喜んでもらうことは,人の生きがいですらある。 |
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<第11回> 2002.10
神石高原は愛して止まない故郷である。どこを旅してもどんな有名な観光地を見て来ても、ここへ帰るとやはり一番よい所と思うのは私だけでしょうか。 |
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<第12回> 2003.01
町村合併は,企業や銀行の合併とはちがいます。町を大きくするメリットが、どこにあるのでしょう。
それが明確でなければなりません。 |
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<第13回> 2003.3
遠く北の山々の頂きはまだ白く,早春の神石高原からの遠望は心を洗われるほど美しく,この地に住む幸せを思います。この山道のわきには自動車の山が目について折角の風景を台無しにしているのは、何としたことでしょうか。 |
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<第14回> 2005.5 近頃は、やけに喫煙者いじめが多い。タバコをすうぐらいで、それほど他人様に迷惑をかけているだろうか。 場所をわきまえないもの、スイガラのポイ捨て等は論外である。 |
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<第15回> 2005.6 日露戦争の日本海海戦で、負けることは日本がなくなることであった。しかし、日本海軍は40対0のパーフェクトで、ロシア、バルチック艦隊に快勝した。 |
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<第16回> 2005.7
緑は深く、水がうまい、空気が良い。風、湿度,温度丁度よい。もし平均で5℃位の地球温暖化があってもこの地域は屁ともない。 |
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<第17回> 2005.8 幸運は「匂い」がある。 幸運の前後に匂うのである。スリルがなければ幸運はない。 運命は自分で決められるものではない。 |
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<第18回> 2005.9 仙養ヶ原ゴルフ場に観音さまが建立された。
高さ3m、連座1m。現代風美貌の観音さきである。 |
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<第19回> 2005.10
「人に勝つより,自分に勝てと、言われた言葉が胸にしむ」勝って奢らず、負けて礼を忘れず、沈着な態度こそ亀鑑と考え,修行してきたはずである。 |
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<第20回> 2005.11
具体化して来ないと「敵」というものに対する意識は持ちにくい。しかし、国際間で、その感覚で居てよいものだろうか。 |
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