第152回     

  
 歴史の歩き方2

当日の巫女さんたち

 前回に続いて、今回も心惹かれる遺産を紹介したい。
 学術的価値などわからなくてもいい。ただ魂に触れる。それだけで、充分その人にとって歴史的価値があるというものだ。
 毎年旧暦1月24日に当たる日、午前中のみ本殿を拝観できる神社がある。福山市草戸町に鎮座する愛宕神社である。
 明王院の境内から伸びる参道を登っていくと、中腹に愛宕権現堂がある。その先をさらに登っていくと、山頂付近に奥の院と称される愛宕神社、太郎坊がある。
 前日夜から、愛宕大権現大祭の火渡り神事がある。そちらはご存知の方が多いだろう。愛宕権現は山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神である。愛宕権現については次々回触れたいと思う。
 愛宕神社は、明治に神仏分離までは明王院が別当寺だったこともあり、混同されやすいが、現在、草戸稲荷神社で管理されており、愛宕権現とは別物と考えた方がよい。
 さて2011年の旧暦1月24日、つまり2月26日、愛宕神社に参拝してきた。
 
 惹かれる社殿へ

愛宕神社本殿
 
 今年は事情があり、午後2時までの拝観ぎりぎりの登頂だった。急な石段を息せき切って登っていくと、いつもはない幟が見えてくる。俄かに足が軽くなる。ぐるりと迂回して登り切ると、覆屋が開け放たれ本殿が目に飛び込んできた。
 愛宕神社は、寛永5年(1628)、水野勝成が福山城守護のため、勧請した神社である。現在の祭神は、火迦具土之神(ひのかぐつちのかみ)で、火難除けの神社として信奉されている。間口三尺五寸の小社であるが、覆屋で保護されているため、保存状態も良好だ。
 社殿の前に立つと、まず目を引くのが屋根の部分だろう。神社を見慣れた方なら、きっと何かしらの違和感を持つに違いない。
 正面に軒唐破風付きの向拝がついているが、実は宝形造なのである。神社本殿には普通宝形造は用いない。正確には宝形造と春日造を混合したような造りであり、極めて特殊な形式なのだという。神仏混合社殿の形式をそのまま残した稀有な姿に、ただ気圧されるばかりだ。
 400年前、人は、神も仏も区別なく、信仰という溶け合った世界へただ一心に手を合わせたのだ。その信仰に対する大らかさを体感できなれば、当時の風俗・文化の機微は推し量れない。
 しかし、毎年のように参拝したくなるのはそういう探究心からではない。精巧な各部所の造り、随所に施された優れた意匠、丁寧に葺かれた桧皮の屋根。江戸時代初期の風趣をよく留めた、その端然とした佇まいは、何度見ても見飽きることはない。惹かれてやまないのである。 
 福山市の重文であるが、個人的にそれ以上の価値を感じている。



備陽史探訪の会
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