第157回     備後の四ツ堂(44)

  
 神石高原町古川吉ケ迫 「上・下薬師堂」2

瑠璃光薬師堂。桜の樹の下にある

 上の堂から往還を北方向へ進むと500mほどで貯め池沿いに建つ下の堂に着く。
 この二つの堂の場所について、文化庁文化財部発行の『辻堂の習俗3』には、「神石町呉々峠、庄原、甲奴郡総領町田総、東城町方面へ分かれる旧往還道に沿い、堂のそばに小さな道標がある。また下の方は、帝釈に参る道筋であり、共に休憩所として利用されている」とある。しかし、そこに掲載されている写真と見比べてみると、場所が違っているようだ。平成の再建時に移築したのであろうか。
 下の堂は、瑠璃光薬師堂と掲げられた切妻造の堂である。棟札には、平成五年八月、中・下組十九戸により、南無薬師瑠璃光如来堂建立とある。薬師像、大師像、石仏などが安置されており、風化して刻印も読み取れぬものもあれば、安永年間と読めるものもある。いずれも古い時代から祀られているものであろう。短くなったろうそくが七本立っており、お詣りに来る人の気配が感じられる。
 
 

溜め池のほとりに建つので、休憩にはもってこいの場所である。
 
 池の土手には、数本の桜が植えられており、花見の季節には、思わず腰を下ろしてしまいたくなるだろう。休憩処として粋な演出である。地域の中で、今も活用されている堂ならではの計らいだ。
 地理に不案内で、かつての往還がどこを通っていたのか判断し難い土地での四ツ堂探しはなかなか大変である。ほとんどの資料に小字までしか記載されていないので、それを頼りに旧道を訪ね歩くのだが、それでも見つからない事が多い。地元の方に尋ねても、わからない場合も多いのだ。幸い吉ケ迫の場合は、地元の方がしっかりと堂の所在を把握されていて助かった。
 堂の場所はもちろん、由来まで知る古老に出会うたび、なにやらほっとした心持になる。四ツ堂が立派に維持されている地域ほど地域コミュニティがしっかり機能しているものなのだ。
 本末転倒では困るが、堂を中心に地域コミュニティを再生するという方法もあるのではないか。



備陽史探訪の会
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