第168回     備後の四ツ堂(48)

  
 山肌に刻まれた記憶福山市新市町下安井 蛇切峠の堂

蛇切峠の堂。右端に蛇切峠の案内板が見える。

 芦品まなび学園の東を流れる戸手川沿いに、下安井に抜ける一本の細い道がある。大佐池を目指して北上し、池を過ぎ、さらに進む。やがて二股に着く。右が柏へ行く道で、左が蛇切峠から下安井へ抜ける道だ。
 左へ進み、しばらく行くと、ゆるやかにカーブの左手に蛇切峠の説明板が見えてくる。その傍らに四ツ堂が建っている。
 元禄十三年の検地帳によれば、下安井には四ツ堂二十四箇所とある。「神社仏閣除地」としては、四ツ堂五箇所で他は仏堂などの堂となっている。四ツ堂の場所は全く不明だが、蛇切峠の堂はそのひとつではあるまいか。
 切妻の堂の床部分はベンチ式になっているが、柱に比べて部材が新しく、床が抜けたので新しく作り直したのだろう。柱や虹梁の風化具合には、年月を感じる。
 なによりこの堂が古くからあったと思わせるのは、傍らにある道標だ。
 山肌に置かれた舟型石地蔵五体の下に一基の石柱。上部には石仏が陽刻され、下部には、「東福寺」「西一宮」と陰刻されている。
 東には、観音寺(福盛寺の奥の院と伝えらている)へ続く道がある。西にはかつて、一宮さん(吉備津神社)へ続く道があったのだろう。今はその途中にゴルフ場があり、道の先は藪に覆われている。
 
 

堂傍らの石仏。下にあるのが道標の石柱。
 
 この周辺は柏城跡であり、この地には北から一本、東から六本、西から四本の道が通じ、交通の要衝であった。近世でも駅家・柏・大森・宮内を結ぶ峠であり、四ツ堂が建っている方が自然な立地なのだ。案内板にある蛇切峠はこの地点より北に100mほど行った所の、大森村と柏村の境の峠をいう。
 蛇切の名の由来や風習、観音寺にある室町時代の宝篋印塔、柏城跡など、この周辺には、彩り豊かな歴史遺産が埋もれている。
 現在、この往還を利用する人はどれほどいるだろうか。人の目に触れず、口の端に上らぬ遺跡は、静かに朽ちていくのが常である。郷土の埋もれた宝は多いに喧伝されて良い。生活道路として利用されなくても、ハイキングやサイクリングとして利用されれば、四ツ堂も活躍の場があるだろう。



備陽史探訪の会
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