第170回     

  
 三つの「七曲」

旧七曲トンネル線から新七曲トンネル線を見下す。
(2011年当時)現在は、通行止めになっているため一般では見ることのできない景色。

 福山市加茂町から山野町へ越えたところに「新七曲」というトンネルがある。県道21号線を真っ直ぐに通すために造られた立派なトンネルだ。「新」と付くからには、当然「古」い七曲トンネルがある。
 この県道の上方に並行して走っている旧県道にあるのが「七曲」トンネルだ。1956年から新トンネルができた1998年まで、こちらのトンネルを利用した人は多くいるはずだ。現在、こちらの交通量はほとんどない。通る必要性がないからである。
 しかし名前の由来となった七曲は、まだ別にある。旧七曲トンネルがある旧県道の上を通る、かつての峠越えの道だ。七曲り掘切峠は標高300m、幾度も折り返す狭くて急な道が続く難所であった。明治時代半ばまで、人々は徒歩や馬でこの峠を越えて、山野から神辺や加茂へ品物を運んで行ったという。
 この峠道にはいろいろな民話が残されている。ひとつは、峠の南下に仁平という働き者が住み、加茂や福山に出稼ぎに行き、お金を土中に蓄えていたという。県道の工事中に屋敷跡といわれる付近から数回にわたって多量の銭貨が見つかった。1986年にも、県道斜面で寛永通宝などの一文銭約一万枚が発見され、民話の信憑性はさらに高まった。
 峠には明和3年(1766)の銘を持つ「仁平地蔵」が建っているという。
 
 道も文化遺産

旧七曲トンネル線から旧七曲道へとつながる道。
現在も旧王七曲道(県道103号線は通行可能)
 
 江戸時代に使われていた往還をこの目で確かめたくて、七曲りまで車を走らせた。しかし、目印となる「旧トンネルの北出口付近にある片屋橋」がわからない。山の上に向う細い道に見当をつけて車で入っていく。確実に上へ上へと登っていく。しかし、地蔵は現れない。やがて切り通しとなり、峠らしき箇所に出た。深い切り通しは、いかにも最近の道のようだ。七曲トンネルができる以前に通られていた県道であろうか。
 掘切峠を歩いて探すには山は深く、車でうろうろするには道路事情が悪い。結局、仁平地蔵もその傍らにある石仏や牛供養塔も見る事なく山野を後にした。
 新県道が出来て以来、旧県道を行きかう車はない。さらに古い舗装道はなおさらいない。そしてさらに古い七曲り掘切峠を通るものはよけいにいないだろう。このまま、荒れるに任せ、いずれは車も人も通えぬようになるのだろうか。
 昔の人がどれだけの苦難を伴なって峠を越えていったのか、そしてそこに残された数々の民話の意味。実際の道がなくなれば、それらは絵空事になりはしないだろうか。開発のために撤去しなければならない道ではない。郷土の歴史遺産として、守り継いでいってほしいと願う。
 因みに、旧七曲トンネルに通じる加茂油木線の一部区間は、2011年11月1日に封鎖が決まっている。



備陽史探訪の会
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