第171回     備後の四ツ堂(49)

  
 福山市新市町戸手 堀越峠「薬師堂」

堀越峠の堂。向かって右側に石地蔵、左側に五輪塔の残欠がある。

 戸手駅の北側、福塩線の線路に平行して一本の道が東西に走る。古代山陽道と目される道であり、近世の脇街道・石州街道でもある。今は県道として車の往来があるが、旧道の風情を残している区間がある。
 戸手駅北側から東に少し行くと、県道は二手に分かれ、なだらかな登り坂となる。左手が旧石州街道の堀越峠だ。両脇に迫る丘陵は、中世山城「法光寺山城跡」だという。
 堀越峠の西端に、切妻・腰高板張りの四ツ堂が建っている。棟札には大正九年八月再建とある。その後の修復の棟札は見当たらないが、屋根は新しく葺きかえられている。本尊には生花と蝋燭が手向けられており、地域の人から厚く信奉されている様子が窺える。
 堂の正面左手には五輪塔の残欠。中世山城跡近くに建つ四ツ堂の境内地には、五輪塔がある場合が多い。この薬師堂も例に漏れずだ。左手には、岩壁の窪みに数体の石仏。こちらは近世の遺物だろうか。それぞれの石造物の詳細はわからないが、この峠に立つだけで、この地がどれほどの長い歳月を経てきたのか実感できる。
 ここからさらに西へ行くと、古代寺院「慶徳廃寺跡」と推(すい)されている場所がある。そぞろ歩き、沿道の史跡に目を向けるほどに、古代から中世、近世と気の遠くなるような時間の狭間をたゆとうている気分になる。
 
 

昔の面影が見える道の風景。明治時代の写真に正面の茅葺屋根の家が見える。
 
 さらに福塩線の線路を越えて左へ折れると、上戸手四軒屋地蔵堂がある。こちらは府中往還の傍らであるし、『新市町史』にも取り上げられており、知る人も多いことだろう。堂の棟札には天和三年(1683)再興とある。
 堂前の道標には、「右ふく山 左上方」とあり、ちょうどここが、石州街道と府中往還の分岐点となる。ここから東へ石州街道は戸手を抜け、上御領で西国街道と合流して上方へと続く。この堂も、古くから交通の要衝として街道を行きかう旅人を見守ってきたことだろう。


上戸手四軒屋地蔵堂の道しるべ

備陽史探訪の会
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