びんご 古城散策・田口義之

◆蔵王山下城と小川大膳亮(1)
                                 (福山市蔵王町) 〈262〉

蔵王山下城址
 各地の古城を研究していると、記録は残っていても城跡がはっきりしない場合も少なくない。かつての「市村」、現蔵王町にあったという「蔵王山下城」もその一つだ。
 この城跡に関する近世の記録は一貫している、刊本の「備後古城記」をはじめ、各種の古城記の写本にはどれも深津郡市村のところに「小川大膳亮」が書上げられ「蔵王山下城」として「備中大下村高田河内守正重」の家臣であったと記している。この伝承は、備後古城記の原本が著されたとされる江戸時代初期に遡るものと見ていいだろう。
 だが、城跡の位置ははっきりしない。蔵王山の名が冠してあるところをみると、現蔵王山山塊のどこかに城跡が残っているはずだ。
 小川大膳亮の墓石と称されるものは、現蔵王小学校から道路を隔てた西側の尾根上に残っている。江戸時代後期に福山在住の子孫によって建てられたもので、明応二年(一四九三)の没年と簡単な来歴が刻まれている。
 今までの研究では、蔵王山下城とは、その名の通り、標高225メートルの蔵王山山頂から東南に広がる、山麓のどこかにあった居館形式の土居城と考えられてきた。確かに、蔵王山山頂から東南麓の現蔵王小学校から南に広がる丘陵地帯は、日当たりもよく、眼下に中世までは栄えた港町であった市村の中心部を見下ろすことが出来、中世武士の本拠地としては絶好の位置を占めている。

 蔵王山下城は、既に宅地や小学校の建設によって破壊され現存しないのだろうか…。
 ところが、小川大膳亮の墓石がある尾根を登って行くと、中世の城跡と考えられる場所が残っているのである。場所は、蔵王憩いの森として公園化された台地から東南に伸びた稜線の一角で、その南から東南に通ずる尾根道を下っていくと小川大膳亮の墓石が見えてくる。
 ここは、現在麓に下りている真言宗医王寺の旧跡とされている場所である。医王寺は平安時代この場所に創建され、その後現在の場所に移されたと伝わり、現に憩いの森として整備された平坦地の東側からは奈良時代から平安時代初期のものと推定される布目瓦が出土する。
 地形を見ると、蔵王山山頂から南に谷を隔てて平行に東に伸びた丘陵で最高所は標高170メートル、蔵王山の「下城」と呼ぶに相応しい場所である。
 現地を訪ねてみると、最高所に30メートル四方の平坦地を築き、尾根に沿って東南に2段3段と削平地が確認される。山頂のそれは周囲に土塁も見られ、中世山城の曲輪跡と判断して間違いはない。
 詳細な調査はこれからだが、東南に伸びた尾根の最高所を本丸とし、前面に曲輪を階段状に並べた戦国期特有の山城跡だ。
 果たして、この無名の山城跡こそ、小川大膳亮の蔵王山下城なのであろうか。

備陽史探訪の会
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